先日iSPP主催のスタディーツアーに参加し、復興は誰のものか 改めて考えさせられました。
陸前高田市では、希望の架け橋や防潮堤の建設に巨額の事業費が使われています。
市内を案内してもらった語り部さんからは、災害時の状況だけではなく、その事業費の使われ方に疑問を呈する言葉は沢山語られました。
希望の架け橋は一時的な建造物で、防潮堤は津波の到達地点までの高さになってない。
そんな所にお金を使うなら、被災者に直接現金を渡して、自立再建を促した方が良いとの意見。
一方で仕事柄、自治体関係者の話を聞く機会があり、その多くは、津波到達地域には住宅建設ができないため、建設用地確保のため山を切り崩す必要があり、その工程はどうしても時間がかかる。希望の架け橋はその時間短縮に必要。防潮堤も専門家の意見を元に建設計画しているとの意見。
どちらも納得できるところがある。
でも、このような意見の相違は合意形成の過程で当然発生するものとしても、これらの意見をする方々は一様にイライラしているように見える。
それは、自分の住むところがいまだ決まらず、復興後の姿がイメージを共有できないからだと思った。すなわち、いまだ復旧に手一杯で、復興の姿を共有するに至ってないのだと。
復興計画策定には多くの意見と時間が使われたと思う。
それは、住民誰もが平等で、平和で、安全な街づくりが提示されているはず。
しかし、それを納得できない意見が多いのは、
AさんとBさんの復興は必ずしも一致しないから。
復興について誰もが「納得したい」から。
少なくとも「しょうがないな。」と府に落ちたいのだと。
だと思う。
そして、きっとそこに至るまでは、まだまだ時間が必要なんだとも....。
画一的で最大公約数のような復興を目指すのではなく、いろいろな選択肢を提示できるよう、見直す時期に来ているのかもれません。